感覚に縛られる音楽
私は音楽が好きだ。
以前はピアノ調律師として働き、また自分でもピアノを弾き、曲を作るほど音楽が好きだ。
しかしながら、ヴィヴェーカーナンダやラーマクリシュナ、ヴェーダーンタ哲学に触れるにつれ、「感動」であっても、それは感覚に縛られることに他ならないと思うようになった。
静寂を壊す音楽
どのような素晴らしい音楽であっても、静寂を壊すということは否定できない。
だとしたら、静寂を壊すだけの価値が音楽には求められるのではないだろうか。
感覚からの解放
感動ではなく、感覚に縛られることから解放されるかどうかが大切だ。
その準備としての音楽。
感動ではなく心が静かになる音楽。
神聖な気持ちになる音楽。
そういう音楽を目指していきたい。