東京都東村山市にある心療内科・精神科のクリニックです。
医師は院長のみですが、毎週水曜日・土曜日には臨床心理士の方がいらしているため、カウンセリングを受診することもできます。
おのクリニックの評判・口コミ
先生がとても熱心に話を聞いて下さって安心しました。
総合評価:
先生がとても熱心に話を聞いて下さって安心しました。
クリニックの場所も東村山駅すぐそばで、通いやすいです。
院内がきれいなのも良かったです。
(Googleマイビジネスの口コミを引用)
診療日・時間
毎週火曜・水曜・木曜・土曜日の13時~19時
完全予約制になりますので、受診希望の方は、お電話でご予約をお願い致します。
TEL042-308-0600
アクセス・住所
西武新宿線 東村山駅東口徒歩1分 所沢駅から1駅でアクセス良好♪
〒189-0014
東京都東村山市本町2-3-92 東住本社ビル5F
診察ポリシー
何重にもわたる発話の往還には相応の時間がかかります。ところが、現在の精神科診療の実情としては、大学病院や市中の大病院などの場合、一人当たりの平均診察時間は10~15分程度ではないでしょうか。もちろん、自由診療を行っているクリニックなどの場合、十分な診療時間を確保できますので理想形に近い診療が可能でしょう。しかし、保険診療を行っている多くの医療機関においては、10~15分前後の診察時間がスタンダードと思われます。
このような制約のある時間枠の中でいかに良質な医療を実践するかが、現在の精神科診療の課題といえるでしょう
残念ながら、その決定的な打開策はいまだ見出されてはおりません。個々の医師が創意工夫を凝らしながら診療を行っているのです。
たとえば、人によっては、診察時に不調や苦しさを吐露することに抵抗を感じてしまい、話せなくなってしまうケースがあります。そのような場合、患者の方があらかじめ家で不調や苦しい点をメモして、診察時に医師に手渡すという方法はとりわけ有効となります(具合の悪い時には、文を書くことすら苦しい作業ですので、メモ程度で十分なのです)。
このような、些細とも思われるような工夫を積み重ねつつ診療を行っているのが、現在の精神科医療の実態であり、当クリニックも「些細な工夫の積み重ね」を実践的目標として掲げたいと考えております。
その一方で、十分な時間をかけてお話を伺わなければ治療がうまく進展しないケースにつきましては、カウンセラーを配備し、カウンセリングを受けられる体制を作りました。カウンセリングを積極的に活用していただけたらと存じます。
(おのクリニックHPより引用)
臨床心理士による心理カウンセリング
女性の臨床心理士がカウンセリングを担当しています。
〇診療日・時間
毎週水曜・土曜日の14時~18時
〇料金・・・30分2000円
予約制になりますので、事前にお電話でご予約をお願いします。
TEL042-308-0600
小野博行院長プロフィール
略歴
昭和59年:東京大学医学部医学科卒業、東京大学医学部附属病院分院神経科入局
平成6年 :同科助手 医局長
平成7年 :同科講師 病棟医長
平成13年:東京大学医学部附属病院精神神経科講師 外来医長
平成14年:財団法人神経研究所附属晴和病院勤務
平成17年:東京芸術大学准教授 保健管理センター勤務
平成21年:医療法人社団飛白会「山下医院」勤務
平成23年6月:「おのクリニック」開設 同クリニック院長
専門医・認定医
精神保健指定医 認定産業医
小野博行院長のブログを紹介
心療内科と精神科の違いについて
心身の不調を感じてその専門科を受診しようと思った時、世の中には精神科と心療内科があることに当惑し、どちらの科を受診していいのか悩まれる方も少なくないと思います。
精神科は「精神」の科という名称になっているので、精神疾患を扱っている科ということはすぐにわかるのでしょうが、
心療内科って何だろう?
「内科」という言葉が入っているのでやっぱり内科?
でも、うつになったら心療内科にかかってくださいと言われているし、精神科というと精神病のような重い病気の人が行く科じゃないのかな。
自分はそこまで重い状態だとは思わないけど。
と、迷い始めてしまうのではないでしょうか。そこで今回は、精神科と心療内科の異同についてお話いたします。
精神科とは
精神科は300年以上の歴史を持った診療科です。長らく入院治療が中心でした。入院治療といっても、近年に至るまで治療薬がなかったために、もっぱら静養によって病状の安定化を目指したものと言えるでしょう。
それは確固たる治療法がない状況下での入院ですから、ともすると病状の重い方を社会から隔離するという側面があったことは否定できず、それが精神科なのだという見方が社会的通念になっていた時代も長かったと思われます。
このような歴史的イメージが精神科には付きまとうため、精神科は重い病状の人が受診する科なのではないのか、という懸念も生じるわけです。
しかし、1952年にクロルプロマジンが統合失調症に有効であることが見出され、さらには1957年にイミプラミンがうつ病に有効であることが見出され、以降、精神疾患の薬物療法が可能となりました。現在では、薬物療法をベースに、認知行動療法、諸種のカウンセリングの併用によって治療が行われています。
ことにここ数年、うつ病が社会に広く知られるようになり、うつ病患者の受診者数が増える一方、軽症のうつ病も多くなり、抗うつ薬の種類の増加ともあいまって、治療の中心は外来治療となっています。20年、30年前と比べて精神科のハードルは低くなりつつあります。心療内科とは
心療内科は精神科とはまったく異なる科として誕生しました。心療内科とは何か?ということについては、日本心療内科学会の公式サイトで末松弘行先生が『心療内科とは』というタイトルのもとにその歴史を説明されていますので、それを引用いたします。
『人を身体面だけでなく、心理面や社会面などを含めて、全人的に治療しようとするのが心療内科です。まずは心療内科の医学における歴史や経緯を振り返ってみましょう。
すでに、2400年も前に、ギリシャの哲学者プラトンが「心の面を忘れて体の病気を治せるものでなく、医者たちが人の全体を無視しているために、治すすべを知らない病気が多い」と述べています。ことに、ルネッサンスの後に自然科学が発達してきて、19世紀にコッホが病気の原因として細菌を発見したころからは、すべてを唯物論的に考えるようになりました。そして、心の面を考えることは、むしろ邪道とされたために、心と体を含めた全体としての人を忘れたゆき方が主流となり、かつてプラトンが警告したような事態が著しくなってまいりました。そこで、このような傾向への反省として、全人的ケアをする心療内科の必要性が認識されるようになってきたのです。ですから、心療内科は比較的新しい科で、わが国で九州大学に心療内科が初めて創設されたのは約50年前です。もちろん、心療内科は「心理的な原因のみで体の病気が起こる」というような、行き過ぎた精神主義に基づくものではありません。病気の身体面でのデータを十分に踏まえたうえで、これに影響している心理的・社会的な因子の役割を正しく評価して、病人全体を治そうとするものです。ですから、親学会の日本心身医学会は日本医学会に加入を認められています。そして、様々な心療内科的治療法は保険で採用されています。
心療内科を受診されると、まず、身体的な診察や検査があり、同時に心理テストや心理・社会面での面接があります。そのうえで、必要とあれば身体的な治療もしながら、さまざまな心理療法などの心療内科的な治療が行われます。つまり、「病気を診るより、病人を診て」心と体の両面から治療する、それが心療内科です。』
この引用文の中で押さえておくべきポイントは、
1)ギリシャの哲学者プラトンが「心の面を忘れて体の病気を治せるものでなく、医者たちが人の全体を無視しているために、治すすべを知らない病気が多い」と述べています>と書かれているように、治療の対象となっているのは「体の病気」ということです。そしてそれを前提として、「体の病気」に影響を与えている「心の面」に着目する必要性が強調されています。
2)このようなプラトンの教えが古くから存在するにも関わらず、唯物論的な思考方法(すべては物質的に説明ができる、という立場)が長らく世の中を占めたために、初めて心療内科が創設されたのは約50年前(昭和38年4月)のことであり、心療内科は比較的新しい科であるということです。
精神科と心療内科の違いは?
以上のように心療内科は、体の病気の発生に心理的な要因が関与している場合に、身体的な治療とともに心理的な治療を行う科として発足しました。したがって、体の病気を心療内科では治療対象とするけれども、精神科では治療対象としない、という点が両科の最大の相違点です。
しかし、この短い50年の間にも心療内科の体質は変化して行き、上記の末松先生の記載のような本来的な心療内科の体質を維持している医療機関もあれば、うつ病などの精神疾患を中心的な治療対象としている医療機関もあります。
したがいまして、心療内科はグルーバル化が進展している途上とみなせ、後者のような心療内科は端的に精神科と呼んだ方が良いのではないかと思われます。一方精神科は、受診する際の心理的抵抗感・ハードルの高さという問題を長らくかかえて来ましたので、「精神科的心療内科」の出現をむしろ受け入れ、精神科と心療内科の両方を診療科として掲げることが多くなってきました。
以上から、「精神科と心療内科は同じ科?」という疑問に対しては、大学病院や大病院における「本来的心療内科」は別にして、巷の多くの心療内科と精神科との間に特別な相違はないのが実情である、と結論づけることができます。
(おのクリニックHPより引用)ネガティブスパイラル
1.ネガティブスパイラルとは
ネガティブ・スパイラルという言葉は、ここ数年、経済状況悪化の話題の際にしばしば耳にし、もはやなじみの言葉となっています。脱出しづらいマイナス志向の精神状態を表現するためにも多用されていますが、まずは経済現象でご説明するのがイメージが湧きやすいでしょう。
経済領域では、ネガティブ・スパイラルという言葉ではなく、デフレ・スパイラルという言葉が正式なようですが、デフレ・スパイラルとは、物価下落と景気悪化がスパイラル(螺旋)的に進展していくことです。デフレとは物の価格が下がることですが、物の価格が下がると給与が下がり、給与が下がると消費が控えられるようになって物が売れなくなり、物の価格がさらに下がるという悪循環過程に陥ります。この現象をデフレ・スパイラルといいますが、これになぞらえて、精神におけるネガティブ・スパイラルをご説明しましょう。
「ネガティブ」とは物事に対する認知がマイナスに傾いたり気分状態が落ち込んだりすることを指し示しますが、物事に対する認知がマイナスに傾くと、気分が落ち込みます。気分が落ち込むとプラスに考えられなくなり、さらに物事に対する認知がマイナスに傾きます。人間の精神構造はこのように認知と気分とが連動していますが、これが上記のメカニズムで、ネガティブな方向ばかりへと螺旋状に落ちて行き抜け出せなくなる現象を「ネガティブ・スパイラル」と称します。
2.認知療法
ネガティブな認知を改善する治療法の一つとして、認知療法があります。これはアメリカのアーロン・ベックという精神科医が、1963年にうつ病を治療するために考案した療法ですが、その後、その有効性が認められ、多くの工夫がなされて、今では様々な精神疾患に対する強力な治療法として広く実践されています。簡略化してそれをご紹介しましょう。
[状況A]私はまた女性にふられてしまった。
[自動思考]私には魅力が欠如している。
私には女性とつきあう資格がなんだ。
[合理的反応]たまたま相手と相性があわなかっただけだ。
何度かつきあううちに、相性のいい相手とも出会える。
[状況B]私はまた上司に叱られた。
[自動思考]私には能力がない。
私なんかが会社にいてもみんなに迷惑をかけるだけだ。
[合理的反応]上司から叱られた点を改善することで、
私のスキルは向上する。
叱られれば叱られるほど、私は仕事ができる人間になれる。
以上のように、ネガティブな認知形態になっている「自動思考」を「合理的反応」というポジティブな見方を導入することによって、ネガティブな認知形態の打破・改善をもたらそうとする手法が認知療法です。
3.ネガティブ・スパイラルに陥ったらすみやかに受診を
ですが、ネガティブ・スパイラルに陥っている時には、「合理的反応」というポジティブな見方をすることができません。たとえば、治療者から「たまたま相手と相性があわなかっただけで、何度かつきあううちに、相性のいい相手とも出会えますよ」と言われたとしても、 「いえ、たまたまではありません。二度あることは三度あると申します。次もまたふられる可能性の方が高いのです」とネガティブに考えるでしょうし、また、治療者から「上司の方から叱られた点を改善することで、あなたのスキルは向上します。いわば、叱られれば叱られるほど、あなたは仕事ができる人間になれるのです」
と言われたとしても、「いえ、私には叱られた点を改善する能力なんてありません。そのような能力があれば、とっくに叱られなくなっています」とネガティブに考えるでしょう。すなわち、ネガティブ・スパイラルに陥っている時には認知がネガティブ一色に染め上げられていて、湧いて来る考えがすべてネガティブな方向性を荷っています。
蟻地獄に落ち込んだような脱出不可能な悪循環。
これこそがネガティブ・スパイラルの実態なのです。
したがって、ネガティブ・スパイラルに陥っている状態には、さすがの認治療法もその効力が及びません。 ネガティブ・スパイラル現象が起きる典型的な病気はうつ病ですが、うつ病以外でも、パニック障害、神経衰弱状態などでも起こります。ネガティブ・スパイラルに陥ったらすみやかに医療機関を受診しましょう。適切な薬物療法によって、ネガティブ一色に染め上げられている認知を改変し、ポジティブな認知の可能性を開くことができます。
脱出不可能な悪循環を断ち切り、ネガティブ・スパイラルから抜け出して、認治療法の効力が及ぶ領域へと救い出すことが可能となるのです。
うつ病
うつ病はこころの風邪か
うつ病はこころの風邪」という言い方がされるようになって、既に10年以上の年月が経つのではないでしょうか?「うつ病はこころの風邪」という言い方には、
①うつ病とは誰もがかかる可能性のある病気である、
②かかったとしても風邪のように服薬で簡単に治る病気である、
③だから、かかったと思ったら早めに病院に行きましょう、
という少なくとも3つのメッセージが含まれています。
確かに「うつ病はこころの風邪」という言い方によって、うつ病という精神疾患に対する偏見を払拭したり、精神科の敷居の高さを緩和する、などの効用が社会にもたらされたことは間違いないでしょう。この点はこの言い方の、功罪のうちの「功」の側面です。しかし、「うつ病はこころの風邪」という言い方は正しい認識ではありません。うつ病は風邪のように簡単に治る病気ではないのです。順調に治療が進展した場合でも、主だった症状が消失するまでに3ヵ月程度はかかりますし、その後も易疲労性といって疲れやすい傾向がさらに続くため、治療開始後1年で病気になる前の状態にまで回復するならば、非常に幸運な治療展開だったと言える程です。
順調に治療が進展しない場合(後述【うつ病の薬物療法】には、さらに年月がかかるわけです。さて、以上がうつ病治療の実状ですが、「うつ病はこころの風邪」という認識を抱いている人が、うつ病の治療を受け始めて1、2ヵ月経っても治らない事態に直面した場合、その人はどのようなことを考えるようになる可能性があるのでしょうか?
①普通のうつ病ならとっくに治っているはずなので、自分のうつ病は特殊なタイプであり、いつ治るかわからない不治の病ではないのか?
②うつ病ならとっくに治っているはずなので、自分の場合、うつ病ではなく、他の病気ではないのか? 主治医は誤診しているのではないか?
③主治医は治療的技術が劣っており、そのために治らないのではないか?
などと考えるようになる可能性があります。①の場合、治療に関して悲観的となったり、病状の好転の遅さに焦りを募らせたりします。
②、③の場合、主治医が正しいうつ病治療を行なっていたとしても、主治医に対して疑心暗鬼となったり、通院を中断したりすることになります。
このように、「うつ病はこころの風邪」という認識を抱いていると、正しい治療にも関わらず、その治療に対する不信、回復が遅いことに対する不安・焦燥感、治療の中断など、甚大な悪影響がもたらされます。この点が、「うつ病はこころの風邪」という言い方の「罪」の側面です。
以上から、「うつ病はこころの風邪」という言い方は功罪の両面があると言えるでしょうが、うつ病に対する正しい疾患認識が欠落している「うつ病はこころの風邪」という甘い言い方は「罪」の方が大きく、このような不正確な認識からはすみやかに脱却するべきでしょう。うつ病の薬物療法
どの病気の治療も特有の難しさがあるもので、うつ病も例外ではありません。うつ病の治療法には精神療法、薬物療法、認知行動療法、磁気パルス療法、脳深部に電極を差し込む治療法などがありますが、ここでは薬物療法を中心にお話しましょう。
うつ病であれば抗うつ薬を使用するとは限りませんが(後述【うつ病薬物療法の新時代】)、多くの場合は抗うつ薬を使用します。抗うつ薬は安定剤などとは異なり即効性がありません。服用し始めて効果が出るまでに1~2週間かかります。その間にも副作用は出る可能性があります。強めの副作用が出た場合、病状の改善がいまだ起こらない時期に副作用の不具合が生じるわけですので、患者の方は薬を飲んでかえって病状が悪化した、と受け止めてしまい、抗うつ薬に対する拒否反応が起きたり、場合によっては通院を中断したりします。したがって、医師は抗うつ薬を処方する際には、事前にこのような抗うつ薬の特徴を十分に説明しておくことが何よりも重要です。
抗うつ薬の効果が出ない時期にも副作用は出る可能性があるため、抗うつ薬の投与は少量から始めます。というのも、なるべく副作用を出したくないからです。投与した抗うつ薬の副作用が軽微で、かつ、効果が多少なりとも確認できたら、薬を増量していきます。増量した効果が判定できるまでに、2週間程度かかります。すなわち、抗うつ薬の投与を開始し始めて、1ヵ月が経過してようやく1回目の増量の効果が判明するわけです。
病状によって異なりますが、1回の増量で治療効果が十分に現れる投与量に達するケースは稀であり、さらに薬を増量しますが、その効果判定にはまた2週間かかります。この段階に至ってようやく有効治療量に達した可能性が出てきますので、この時点で、すなわち治療開始後1ヵ月半が経過した時点から、本格的な薬物療法的改善が期待できるようになります。逆に言えば、はじめの1ヵ月半の期間においては、薬物療法的改善は限定的なのです。
そして、有効治療量に達してもたちどころに症状が消失するわけではなく、症状の消失にはさらに1ヵ月半程度の時間がかかります。これが、前項で「順調に治療が進展した場合でも主だった症状が消失するまでに3ヵ月程度はかかる」と述べた理由です。
「順調に治療が進展した場合」という条件を施したのは、順調に治療が進展しない場合がおうおうにしてあるからです。そのような場合を以下に列挙しましょう。
①強い副作用が出て、他の抗うつ薬に置き換えなければならない場合。
②投与した抗うつ薬の効果が確認できず、他の薬に置き換えなければならない場合。
③増量の効果がある時点からみとめられなくなり、他の薬の導入が必要となった場合。
④改善の途上で、患者さんが自重できずに活動しすぎて病状の悪化が起きる場合。
⑤改善のために必要なリハビリができない場合。
⑥うつ病という診断が適切ではなかった場合。その他にも様々な場合が考えられますが、以上の場合について説明いたしましょう。
①、②の場合は最初の薬の投与期間が無効になってしまうので、当然、余分に時間がかかります。
③の場合は第2の薬の効果判定の期間が加わりますので、余分に時間がかかります。
④の場合は、病状回復のペース以上に活動をすると、疲労などにより病状の悪化が起こることが少なくないからです。
⑤の場合は、うつ病の改善のためには、薬物療法だけではなく、適切なリハビリ(後述【うつ病のリハビリ】)が必要となるからです。
⑥の場合は、厳密に言えば誤診ということになるのですが、ここにはうつ病診断の難しさが反映しており、これについては別項(【うつ病診断の難しさ】)で述べます。
以上のような理由で主だった症状が消失するのに、3ヵ月以上の期間がかかってしまうことは決して稀ではないのです。うつ病診断の難しさ
うつ病の診断は様々な角度からなされますが、個々の医師の経験に基づいた診断ではなく、一般性・汎用性を持たせた診断基準に依拠するとなると、ICD-10とDSM-Ⅳがあります。この2つは世界中で使用されているものですが、両者とも、いくつかの診断項目を満たしていることをもってして診断確定とする形態となっています。
ここで問題となってくるのがフォールス・ポジティブ(False positive 誤検知)という現象です。これは、たとえばうつ病ではないのにもかかわらずうつ病と診断されてしまう現象ですが、なぜこのような他の疾患までが紛れ込んでしまう方法を採用するのかというと、ある人がうつ病だった場合、診断的に漏れなく掬い上げる、診断的に逃さない、ということを目的としているからです。このように診断の網を広く設定すると、うつ病を逃すことはないかもしれませんが、他の疾患までが網にかかって掬い上げられてしまうことになるわけです。したがって、このような診断基準に頼る限り、うつ病と診断された中に他の疾患が混入し、それがうつ病として治療されてしまうことになります。
このような構造的に起こる誤診を防ぐためには、ICD−10やDSM−Ⅳと併せて、うつ病に特異的な症状(他の疾患にはなく、うつ病のみに認められる症状)を見出していく作業が必要となります(後述【うつ病に特異的な症状】)。また、類似疾患との鑑別が難しい場合も少なくありません。次の3つの疾患がその典型と思われます。
1)気分循環症;これはICD−10の診断名で、DSM−Ⅳにはありません。この疾患は下図のように、気分の比較的明るいハイな状態と気分の暗い落ち込んだ状態とが波のように交代するというもので、この波はその人の持っている体質的リズムのようなもので、交代に際してさしたるきっかけのないことが多いのです。気分の明るいハイな程度がとても強くなるとそれは躁状態とみなされ、その疾患は双極性障害(躁うつ病)ということになりますが、気分循環症は躁状態までは行かず、双極性障害には分類されておりません。下図の横軸は気分の中間線(気分が高くもなく低くもないニュートラルなレベル)です。基準線が山の最高点と谷の最下点の中間にある時は、山・谷が見分けやすいのですが、たとえば基準線が山の最高点に近い位置にある場合は、山が山として認識しづらく、ほとんど谷ばかりのように認識されてしまいます。つまり気分の明るい時期があったとしてもさほど明るいわけではなく、ほとんどが気分の暗い不活発な時期ばかりになってしまいます。このような場合、ご本人も医師もその疾患はうつ病と考えてしまうでしょう。極端な場合として、基準線が山の最高点に位置している場合、気分の明るい時期は皆無ですから、それを気分循環症と診断することは極めて困難なのです。
2)双極性Ⅱ型障害;これはDSM−Ⅳのみにある診断名で、ICD−10にはありません。この疾患はほとんどの時期はうつ状態を呈するが、ごく短い期間、軽躁状態が出現するというものです。双極性障害に分類されています。
軽躁状態では、気分の明るさ、ハイテンション、多弁などが出現しますが、ご本人にとっては違和感がなく、かえって「本来の調子を取り戻せた時期」と認識されたりします。したがって、診察時にご本人から変調として報告されることはなく、「調子はいいです」くらいの報告で終わってしまい、多くの期間を占めるうつ状態のみが報告の対象となってしまいます。
こうして、医師もご本人も病気はうつ病だ、という認識を持つことになります。3)神経衰弱;これはICD−10に記載されている疾患で、「神経症性障害、ストレス関連性障害および身体表現性障害」の一型として分類されています。以前は頻繁に用いられていた病名ですが、最近では曖昧な疾患分類ではないか、という批判もあり、使用頻度が少なくなる傾向にありますが、依然として重要な疾患であることに違いはありません。
慢性的な疲労感とともに、頭痛、めまい、筋肉痛、動悸、消化不良などの自律神経症状が出現します。
慢性的な疲労感があるために、活動性の低下を来たし、気分も冴えず、加えて、うつ病でも自律神経症状が出現することが少なくないため、うつ病と診断されがちとなります。これら3つの疾患はうつ病と似ていてもうつ病ではないのですから、当然、使用する薬も異なって来ます。気分循環症や双極性Ⅱ型障害の場合、主たる薬は気分安定薬であり、これに抗うつ薬を併用したりします。神経衰弱の場合は抗不安薬や抗精神病薬を主に使用します。
うつ病に特異的な症状
うつ病を正確に診断するためには、うつ病では出現しないような症状が出ていないかチェックする必要があります。たとえば、気分循環症における気分の自律的な変動や双極性Ⅱ型障害における軽躁状態です。これらの症状を見出すことによってうつ病の可能性が否定されることになります。
それとともに、うつ病でなければ出現しない症状(うつ病に特異的な症状)を見出すことが重要となります。その典型は日内変動です。
これは憂うつ感や活動性の低下などの症状が、起床時に最も強く現れ、時間とともに軽くなるという一日の右肩上がりのリズムパターンです。すなわち、朝(起床時)が最も低調で夜(寝る前)が最も良好という形をとります。
ただし、このパターンが出現しているかどうかの判定は多角的になされる必要があります。
たとえば、仕事がとても負担で嫌悪している場合、出勤前が一番憂うつで、職場に着き、時間が経つにつれ、嫌な仕事をしなければならない時間が減って来ますので、気分も上向き、仕事から解放された夜に一番気分が明るくなる、という右肩上がりの現象はごく普通に見られます。その場合、休日の状態をチェックします。仕事のない日でも右肩上がりのパターンがみとめられるなら、うつ病の日内変動が出現しているとみなせます。一方、ベーシックなリズムは右肩上がりの場合でも、そのように見えないことがあります。うつ病はその重症度が中等度以上になると無理をしようと思っても無理ができませんが、軽症の場合、無理をしようと思ったら無理ができます。最も低調な心身状態である午前中に無理をして仕事をし、その疲れが午後から出て、午前よりも不調を感じ、夜には一日働いた疲れが出て疲労困憊し最も不調を感じる、という現象が見られることは少なくありません。
その場合もやはり休日に目を向けます。休日に無理をしなければならない用事もなく、ベーシックな右肩上がりのリズムパターンがみとめられれば、うつ病の日内変動が出現しているとみなせます。
ICD−10やDSM−Ⅳでうつ病と診断され、自律的な気分変動や軽躁状態がみとめられず、しかも日内変動が確認できたら、うつ病という診断は確定したと言っていいでしょう。うつ病のリハビリ
うつ病のために自宅療養に至った際、会社の上司や労務担当の方が、「ゆっくり療養して完全によくなってから復帰しなさい」と指示する、という話をしばしば耳にします。
この言葉には、「完全によくなるまで焦らずに休養していいんだよ」という意味合いも含まれていれば、「完全によくなるまで復帰するな」という意味合いも含まれています。いずれにせよこの表現は、「自宅療養でうつ病は完全に(病気になる前の元気な状態にまで)回復する」という認識が前提となっています。
しかし、これは誤った認識です。うつ病は自宅療養中に100%回復することはなく、せいぜい70%止まりです。ここにはうつ病におけるリハビリの問題が潜んでいます。いつの時点からリハビリを開始するかは症状の改善度をよく測った上でなければ決定できませんが、おおむね10分程度の散歩が無理なくできるようになった時点からリハビリが可能な段階に入った、とみなせるでしょう。
リハビリは身体活動と精神活動(頭脳活動)に分けて行うのが通常です。身体活動では、散歩、サイクリング、ジムを利用してのトレーニングなどを通してリハビリを進め、精神活動では、テレビ、読書、パソコン操作などを通してリハビリを進めます。リワーク・プログラムという本格的なリハビリメニューを備えたクリニックや公的施設がありますが、それに参加できる程度にまで回復するためには自宅でのリハビリがやはり必要となってきます。
リハビリの要点は、病状の回復に合わせて適切な負荷をかける、という手法に尽きます。適切な負荷とは、軽すぎもせず重すぎもしない負荷のことです。軽すぎる負荷ではリハビリは進展せず、重すぎる負荷だと病状の悪化の危険性があります。軽すぎるか重すぎるかの判断が必要となってきますが、軽すぎる負荷とは活動をした後に疲れが少しも残らない負荷であり、重すぎる負荷とは活動をした翌日にも疲れが残るような負荷です。
このように、適切な負荷をかけて心身の活動性を増加させ、増加した活動性に合わせて負荷を重くする、という段階的な負荷増大の作業がリハビリなのです。薬物療法のみでリハビリが行われなければ、うつ病の改善は頭打ちとなってしまいます。リハビリはうつ病治療において必須の要件なのです。ところが、難問が1つあります。それは職場に戻らない限り、仕事という負荷がかけられないことです。職場としては、元気に仕事をしていた状態にまで自宅療養中に回復しろ、という指示を出す。しかし、元気に仕事ができるようになるためには、仕事という負荷を段階的に増大させるというリハビリが必要となってきますが、自宅療養中には仕事がないのですから、職場のそのような指示に応えるとことは不可能なのです。そしてリハビリにおけるこの構造こそが、自宅療養中には病状が100%回復することはあり得ない理由でもあります。
それはリワーク・プログラムに参加しても乗り越えられない難点であり、唯一、試し出勤制度(職場復帰前に、職場復帰の判断等を目的として、本来の職場などに試験的に一定期間継続して出勤する制度)を導入している職場だけがこの難点を乗り越えることができますが、この制度は職場で仕事という負荷をかけるわけですので、職場で仕事という負荷をかけない限り残されたリハビリは進展しない、という理屈に変わりはありません。うつ病薬物療法の新時代
うつ病治療薬の歴史として最もエポックメーキングな事態は、当然のことかもしれませんが、1950年代に初めての抗うつ薬イミプラミン(商品名;トフラニールなど)が発見されたことでしょう。
私見ですが、次にエポックメーキングなのはアリピプラゾール(商品名;エビリファイ)が2006年に登場したことではないでしょうか。アリピプラゾールは抗うつ薬ではなく非定型抗精神病薬で、神経伝達物質であるドーパミンの放出を調整する機能があります。その調整機能をドーパミン・システム・スタビライザーと称し、ドーパミンが不足しているならば補い、過剰ならば抑制する作用があると説明されています。
ドーパミンは快楽と関係している伝達物質と言われており、アリピプラゾールは、統合失調症においてドーパミン不足で引き起こされていると思われる感情表出の低下、無為、自閉などの陰性症状を改善させる、と説明されています。無論、統合失調症とうつ病は異なる疾患ですが、ドーパミン不足で感情表出の低下や無為という不活発な状態が出現するのならば、ドーパミン不足に起因するうつ病が存在していても不思議ではないのではないか。そしてもしそのようなタイプのうつ病が存在するとしたら、これまでドーパミン不足を解消する薬がなかった(これまでの抗精神病薬はドーパミン放出を抑制する作用が中心と言われている)ために、どのような薬物療法的工夫によっても改善せず、難治性うつ病として扱われて来た可能性は否定できません。ドーパミン不足を解消する効果が大いに期待できるアリピプラゾールの出現は、ドーパミン不足に起因するうつ病を改善する画期的な薬の登場であり、エポックメーキングな事態と言えるのです。
実際、このような私見に基づく説明ではなく、精神薬理学の専門家の中には、うつ病はノルアドレナリン、セロトニン、ドーパミンが関与している、と説明し始めた方もいます。すなわち、うつ病を解明・治療する上で、この3つの神経伝達物質を基本的3軸として前面に打ち出す立場です。この3軸を打ち出した視点は、画期的であるだけではなく、治療実践においても妥当性が高いと思われるのですが、つい最近、もう1軸が出現した可能性があります。それはラモトリギン(商品名;ラミクタール)の存在です。この薬は2002年に抗てんかん薬として登場しましたが、2011年7月から双極性障害にも適用となりました。
実際に使用したところ、気分変動に対して有効であり(バルプロ酸やリチウム剤も気分変動に対して用いられる薬ですが、バルプロ酸やリチウム剤が気分をやや低めに安定させるのに反し、ラモトリギンは気分をやや明るめに安定させる、という印象があります)、しかも、うつ病のさまざまな症状の改善もみとめられたのです
。
うつ病は「リズム性」の病である、という古典的な見方があります。「リズム性」とは抽象的な概念であり、その実体が脳のどの部位にあるかもわかっておりません。しかし、人間にはサーカディアン・リズムというものがあり、24時間単位で心身のリズムが整えられているという事実、うつ病に陥った時、それが脱同調してもっと長い時間のリズムが出現するという事実、さらにはうつ病に特異的と言われている先述の日内変動などは紛れもないリズム現象です。「リズム性」の変調こそがうつ病のベーシックな病変であると主張するのがこの立場です。このような見方がある一方で、気分障害を双極性スペクトラムとして捉える見方があります。これは単極性うつ病(躁状態が出ないうつ病)などは存在せず、すべては双極性として捉えられ、単極性うつ病と称されるものは、躁的状態を見落としているか、いまだ躁的状態が出現していない段階のもの、と説明する立場です。この立場では、気分循環症や気分変調症もスペクトラムの一型として把握されます。躁的状態をどのように定義するのか、という重要な問題がありますが、双極的病状の移り変わりを広く気分の自律的変動として捉えるならば、この立場はリズム性の障害、という見方ともつながってきます。
気分障害とは気分の病的変動・リズム性の障害にほかならないと捉えることが可能であり、ラモトリギンがまさにここに作用し調整するのだとしたら、われわれはうつ病の治療、気分障害の治療において、決定的な一剤を手に入れたことになります。すなわちこの一剤の発見は、極めて本質的な軸の発見とみなすことができるかもしれないのです。
こうして、うつ病の治療ないしは気分障害の治療において、治療の軸がノルアドレナリン、セロトニンの2軸しかなかった時代から、新たな2軸が昨今立ち現れ、場合によっては主要な軸のほとんどが出そろった時代に突入した可能性があるのです。うつ病ないしは気分障害の薬物療法における新時代の幕開けと言えるかもしれません。薬物選択の基本的方針
ファースト・チョイスという言い方がありますが、これは不思議な発想であり、いかなる症状に対しても或る薬をまっ先に使用することにより、他の薬にまさった効果を上げることができる、という夢物語のような話です。
うつ病と一口に言っても、多様な症状が様々な程度で現れているのが実態ですので、そのような症状構成に応じて薬物選択がなされるべきなのです。そこで問題となって来るのが、いかなる症状構成になっているのかを見分ける方法ですが、前項で述べた薬物療法主要4軸を活用するのが、有効でもあれば実践的でもあると思われます。
ノルアドレナリン、セロトニン、ドーパミン、リズム性の4軸が症状的に何に対応するのか、という点については、実証的論拠のない憶測的な述べ方しかできませんが、ノルアドレナリン⇒活動性、セロトニン⇒不安、ドーパミン⇒気分の明るさ(暗さ)、リズム性⇒リズム性の不安定(気分の不安定)、との関係が深いのではないでしょうか。
このような仮説的考えのもとに、活動性の低下、不安、憂うつ(気分の暗さ)、リズム性の不安定(気分の不安定)を症状把握の上での基本的4軸とし、症状構成をこの4軸から見て取ると、たとえば以下のようなレーダーチャート(「病像レーダーチャート」と呼ぶことにする)が作れます。定年後うつ病
定年後にうつ病を発症しやすいのはなぜ?
会社員の方など、一つの組織体に勤め続け、定年を迎えたあとにうつ病を発症するケースの少なくないことは、広く知られている事実かと思います。
なぜ定年後にうつ病を発症しやすいのでしょうか?勤務している間は組織体=職場に帰属し、職場から勤務評価がなされます。すなわち、職場とは役割遂行に関して評価=賞罰が与えられる場であり、職場は一種の評価系とみなすことができます。そして、実は、この評価系から役割を介して賞罰が与えられることにより、「気持ちの張り」が維持されているのです。「賞」が与えられることよりも「罰」の与えられる方向にバランスが傾いてしまいますと、うつ病を発症する危険性が高くなりますが、その一方で、賞罰が存在しない無重力的な場に置かれても「気持ちの張り」が維持されなくなって、うつ的状態に陥る危険性が高まります。
人はただ一つの評価系に帰属しているとは限らず、むしろ、家庭という評価系、趣味のサークルという評価系など複数の評価系に帰属している場合の方が多いでしょう。しかし、どの評価系からの評価も同じ重みを持つわけではありません。その中では職場という評価系からの評価はことさら重いものでしょう。定年退職すると、長年にわたって帰属していたこの重要な評価系から急に放り出される事態が生じ、「気持ちの張り」の維持が困難になりやすいのです。
さらには、うつ病になりやすいタイプはもともと趣味が乏しく仕事一筋に生きて来た人である、という見方は今や通念になっていますが、そのような人の場合、帰属している評価系が職場という評価系に限定されているため、職場と縁が切れることで「気持ちの張り」の維持はいっそう困難となり、うつ病に陥りやすくなってしまうのです。
これが定年後にうつ病を発症しやすい理由です。定年後うつ病にならないためには?
では、その予防策は何でしょうか?
これまでのお話から容易に想像がつくように、帰属する評価系を複数作っておくことです。多くの人は忙しい50代に新たな趣味を作る時間もエネルギーもないため、退職して十分な時間ができてからボチボチ始めようと考えているのではないかと思います。しかし、退職してほどなくすると、「気持ちの張り」は低下し、新しいことを始める気力がわかなくなってしまいます。こうして、趣味を獲得できないまま、すなわち新しい評価系に身を置くことなく、無気力な状態でいたずらに時間だけが過ぎて行くことになります。
したがいまして、定年退職の5~10年前から定年後に向けて準備をしておく必要があります。私事で恐縮ですが、私は数年前から楽器(ジャズドラム)を習い始めました。私の場合、この50の手習いが将来的にどのような効力を発揮してくれるのかは未定ですが、上記のメカニズムからして、50代の忙しい最中であったとしても、定年後に勃発する不連続的変化への備えは開始しておくべきなのです。
パニック障害
パニック発作
パニック障害とはパニック発作によって特徴づけられる疾患です。
パニック発作とは、典型的には呼吸困難感や動悸が突然に出現して、このまま自分は死んでしまうのではないか、という恐怖感を伴います。呼吸困難感とは呼吸ができていない感じですが、実際には呼吸はできており、かえって過呼吸に陥っていますので、空気中の酸素を吸収しすぎて、手足の痺れ感も出現したりします。そのため、過呼吸状態では口に袋を当てて、過剰な酸素の吸収を防ぐという方策も用いられます
パニック発作では呼吸困難感や動悸が出現することが多いのですが、人によっては、めまい、吐き気や嘔吐することに対する恐怖感であったりします。
このような状態はいてもたってもいられない強い焦燥感を伴い、じっとしていられなくなりますが、満員電車やエレベーターの中など、身動きできなかったり、直ちには外に出られない閉所にいた場合、焦燥感はさらに高まることになります。パニック発作の場合、死ぬのではないか、という恐怖感を伴っていますので、救急車が呼ばれることも少なくありません。ところが多くの場合、病院についた頃には発作はおさまっています。通常、発作は30分程度しか続きません。
そして、病院で内科的な検査などをしても特別な異常は発見されません。
これがパニック発作の概略ですが、パニック発作は大きなストレスが加わった時や体調不良時に起きるとは限りません。何でもない健康時、とても元気な時にも起きる可能性があるのです。予期不安
1回目の発作が起きただけですと、了解困難な意味不明な体験として時とともに忘却されて行きますが、2回目の発作が起きた後は、あの発作がもう一度起きたらどうしようか、という強い不安が起こるようになります。この、発作を予期することで生じる不安を「予期不安」と言います。
「予期不安」が起きることで、パニック発作自体、起こりやすくなります。たいていの場合、パニック発作が起きやすい状況は人によって決まっています。その多くは、すぐにはその場から離れられない状況です。電車やバスの中、高速道を走っている車の中、エレベーターの中、風呂に入っている時、美容院でシャンプーしている時、歯科治療を受けている時、商談などで人と会っている時、会議をしている時、人前で話をしている時、などの状況が多いのです。
また、仕事などでテンションがかなり高まった後に、そのテンションが下がる時にも起きやすく、うつ病を発症して活動性や気分状態が低下するさなかにも起きることが多々あります。薬物療法
治療はSSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors、選択的セロトニン再取り込み阻害薬)や抗不安薬の投与で行います。
多くの場合、これらの薬を常用しながら、パニック発作が起こりやすい状況に入っていく1時間前くらいに、抗不安薬を頓服的に使用することで発作を予防することができます。パニック障害の治療の場合、発作が起きれば起こるほど予期不安が高まって発作が起きやすくなる悪循環過程が存在するので、発作を予防することがとても大切になります。人によって発作が起こりやすい状況が固定していますので、そのような状況に入る前に抗不安薬をあらかじめ服用することがとても重要となります。躊躇しないで必要にして十分な量の頓服薬を活用しましょう。
続発症
パニック発作は予防の難しい症状ではありませんが、パニック発作が起きた時の強い恐怖に彩られた体験を忘れることはできませんので、パニック発作が起きやすい状況を避けようとする気持ちが起こります。そのため、交通機関が利用できなくなったり、生活範囲がとても狭まったり、活動が制約されてしまったりするため、閉塞感が高まり、そのためにうつ病を発症することもあります。
パニック障害治療の難しさ
パニック障害は精神疾患の中では重い病気ではなく、十分に状態をコントロールすることも可能な病気ですが、いつ治った、と言いにくい病気です。この点がこの病気の特徴でもあり、病気と向き合う上で難しい点です。先ほど、パニック発作は健康な時にでも起こる可能性があると述べました。これは何を意味しているかといえば、いかに発作が遠ざかっていても、すなわち、発作もなく元気に活動できていたとしても、次の瞬間、再び発作が起きる可能性があるわけです。このような特徴があるため、いつ治った、とも言いづらく、ご本人としてもあの発作がいつ起きるかわからない、という怯えた気持ちを心の底に抱きながら生活することになります。この点がパニック障害という疾患と向き合い心構えを作る上で、一番難しい点でしょう。
(おのクリニックHPより引用)